跡取り娘インタビュー vol.1 印刷業の跡取り娘として、お父様と二人三脚で経営をされてきた谷口さん。
お兄様が引き継ぐはずだったところが、突如の事業承継者として先代社長から指名・・
従業員との関係性、経営状況など会社事業承継後のご苦労から、事業譲渡されるまでの経緯をお伺いしました。
結婚相談所 Rie’s Braidal(江東区・亀戸駅)
はじまった父との二人三脚、そして、戦い
内山:本日はどうぞ宜しくお願いします。理恵さんの跡取り娘としてのお話を伺えればと思います。どうぞ宜しくお願いいたします。
谷口:宜しくお願いします。父親は元気な人で、死ぬまで自分で経営をしたいと思っている人だったし、兄も主人もいたので、もともと私は跡継ぎは考えていなかったのです。兄も会社に入り、私の主人も会社に入りました。
ところが、兄はお坊ちゃまで両親が甘やかして育られていたので。50人以上の職人気質の印刷工や、タイピストの社員のいる中で社員達に頭を下げて仕事をしたくないと言い始めました。社員達に威嚇するような態度をとりはじめ。株だけもらい、お金に換えてとんずらしたのです。そしてあげた株だけもどってきました。
兄がいなくなったので、次にうちの主人がやるかという話になりましたが、経営者には全く向いていませんでした。主人は職人気質で寡黙なので回りの人間を引き連れてやるのは難しいという話になり、主婦だった私が継ぐことになりました。
赤羽に住んでいましたが、毎朝父が運転する車で亀戸まで行き一から学びました。
経営とはどういうことかとか、どのようにして社員とやっていくかなどの帝王学です。
職人気質の社員との軋轢に苦労した
会社に入ってみると、まずは挨拶をきちんとして、職人たちと仲良くなることから始めました。ただ仲良くはなれるけど、経営者として受け入れられるのが難しかったです。
「こんな小娘に何がわかる、こちらは印刷機をまわしているんだぞ」という感じでした。
ではどうしたら良いかと考えた時に、こちらがわからないことがあるから教えてほしいと頼みました。
印刷は非常に難しく、簡単にはいきません。行程ごとに自分はプロだと自負している職人がいます。セミナーに行ったり、研修に行って経営や技術を学びましたが、現場で一緒になって彼らとやらないと受け入れてもらえないのです。その辺りが一番苦労したところです。父は父で考えが古く印刷業界の良い時代を通ってきた人で、仕事がいっぱいあった時代だったので、資格も人格も考慮せず、とにかく機械を回してくれれば良いという時代でした。社員教育なんて全くやっていません。だから、生意気な人が多いのです。
私の父は印刷の日本全体の会長までやった人なので会社にほとんどおらず、役員で会社を回していたので、役員が社長替わりになり、役員が権限を持っていました。みんな言いたい放題で社長の娘と言っても「けんもほろろ」です。
女子社員達からは嫌みをたくさん言われ私をいじめて追い出そうとしてきました。
売り上げの減少、父との喧嘩の日々
会社も大変でいろいろありました。父の考え方は仕事がたくさん入ってきて、人がたくさんいなければだめだと言っていました。見積なんかはいらず、お金はいくらでも良いという時代でした。バンバン仕事はあり、右肩上がりで印刷機をドンドン増やし、工場も増設しました。土地もたくさん買ったり借りたりしました。その分人も増やしました。
ところがだんだんと仕事は減ってきました。10万部刷っていたのが、3万部、1万部、そして1万部を切るようになります。そうすると、仕事が暇になり印刷機の横で遊ぶ人がでてきます。セット印刷機がたくさんあって、1つの印刷機につき1人職員がいますが、仕事中に新聞を見てさぼる人間が出てきました。製本も印刷もみんな暇になったのに誰もスーツを着て営業に行こうとは思わないのです。営業に仕事を持ってこいと言うだけです。だんだんとテレビや新聞を見て遊ぶ人間が増えてきました。そうすると父親は私に怒ります。営業に社員を連れ出しに行こうとすると父は「馬鹿野郎。職人は仕事がたくさん来た時に人がいなかったら印刷機回せないだろ。」と言われました。
そんな喧嘩が毎日のようにありました。売り上げはどんどん下がってきています。
昔は銀行の借り入れがステイタスで、俺だから銀行が金を貸してくれるんだと威張れる時代でした。銀行は頭を下げて借りてくれと言ってくるのです。担保になる土地もたくさん持っているので。父はそれで良い気になるのです。私が「このお金はいらない、回すのに使おう。」と提案しても、「借りることがステイタスなんだ。お前には貸さなくても、俺だから借りられるんだ。」というだけです。
でも銀行は「会長さんの名前だけでは貸せない。娘さんが会社に入って、一緒にハンコを押してくれるから貸せるんです。」と私には本音で話してくれました。父親は歳が言っているので本当は父名義では貸せないのです。でも銀行マンは借りてくれなくなるのが怖いから父には本当のことを言いません。私には後継者がいるから貸せると本当のことを言います。どんどん父はお金を借りてしまい、私はハンコを押させられる怖さがあります。印を押すということは、父が返せなかった場合の責任は私に降りかかるということです。父はそのことを全く自覚しておらず、怖かったです。
承継後のプライドのぶつかり合いは女性の方が優位
私が社員への目標を話し、父も承認した上で話すのですが、やっぱりやめる等と急に言い出すのです。社員達は皆動きはじめているのにです。
今更そんなこと困ると言っても、トップはコロコロ変わるものだというスタンスです。だから私が社員達に謝ります。
あまりにもそのようなことがあり、私もストレスでつらかったです。事業継承は娘でもこのようなことが多いので、息子と父親はますます難しいと思います。
喧嘩もしないで絶交や断絶している実の親子、義理の親子の会社がたくさんあります。男同士はお互いにプライドが高いので難しいようです。父親は息子に自分の会社をひっかきまわされたと思い、息子は何をするのでも父の許可がないとだめという風になるようです。それでは何のために代表になったのかと思ってしまいます。
業者はいろいろと社長どうしますかと聞いてくるのに、父の許可がないと何も決められない。やはり自分一人で会社をおこしたような人は、本来事業を渡したくないようです。あげてしまうと自分が居場所がなくなってしまうからです。
私も父から俺の居場所をとっといてくれと言われました。みんなからいろいろと聞かれていたのに、その立場が娘に行ってしまうと、会社での居場所がなくなる、それがさみしいようです。定年したお父さんと同じです。
それを出来たお父さんだったら娘とやってくれときれいに引くことができると思います。でも引き際が難しいようです
裏切りを乗り越えて
10個のパンしかないのに50人いるから分け合うしかない等たとえ話もしました。わけあうか、パンをたくさんみんなで作るか等も言いましたが社員にはどれだけ言っても伝わりません。父が面接をせずにとった人たちなので。私に恩義を感じている社員は一人もいないのです。これが事業承継の難しさです。
そのことによって社員はやめていってくれましたが、こちらからはやめてくれとは言えず、こちらの立場は低いのです。人の良い社員も一人二人いましたがやはり巻かれてしまうのです。
私に対して、「我々はやめない、給料をあげろ!ボーナスをあげろ!」と。
それが何年か続いてこちらが生きた心地がしませんでした。そして何と財務を見ていた信頼していた友達が乗っ取りでした。私の友人であったそのコンサルが「自分についてくれば給料はこれぐらい良くなる。ボーナスはこんな額になる。」とみんなに言ったのです。そのことによって周りの社員はそっちに着いていくとなっていると。そして友人は私に「みんな僕についてくると言っている。ここの営業権の一部を谷口さんに渡すから他のすべての権利を自分に無償でほしい。」と。お金もあるし、良いお客さんもいるというのを見たようで、そこに目をつけたようです。会社の中に入ってきて社員一人一人と労働組合とも結びついてしまいました。
事業承継は大変だった・・・でも主婦で終わらなくてよかった
社員からも社長はあきらめるようにと言われました。みんな友人についていくからと。事業承継は一番良い状態に持っていって、そして先代が次の世代にみんながしっかりとついていくようにきれいな状態で譲るというのが譲る側の最低限のマナーだと思います。
譲る前の10年間は譲る側が苦労しないといけないと思います。そうじゃないと後の人は苦労します。あと歳をとってからやるものじゃない。45才頃から次どうするのか、どうしたら引き継ぎやすいかを初代が考えるべきです。
引き継ぐ側は何かしたくてもできないです。社員もついてこないし、権限も名ばかり。その次の人についていきやすいように、負担がかからないようにしておいてほしい。無借金にしておくとか、経営状態を良くするとか。自分が引き継ぐためにはこのような状態が良いというベストな状態にしておかないとだめです。
私は会社で持っていた土地が残っていたので、そこに介護施設を建ててその管理をしています。その社長とは今はうまくやっています。でもはじめは悔しかったです。自分は苦労して引き継いだのに、私は良い状態にしてあとに継いだ。でもその後は発想を転換しました。あとの社長に苦労をさせてもしょうがないと思いました。
でも私は普通の主婦で終わらなくてよかったです。
人間が好きで、素敵な人にたくさん出会えました。社長でなければこれだけの人と出会えませんし、つらいことも裏切りもありましたが、それ以上の得られるものもありました。成功した社長はみんな自分一人でやってきたのではなく、みんなでやってきたと言いますがあれは本当です。そうでなければやっていけない。本気でやっている人はお互い助け合う人が必ず現れます。自分も身をもって経験しました。次の社長は経営が軌道にのり、給料があがり、良い社員だけを残しました。経営している以上は大変なこともあると思いますが一生懸命がんばっているようです。だから結果的には良かったです。お客様もみんなあげてしまいましたが。ブローカーで動いた印刷はほとんど利益がない状態です。1000円でうけて自分のところに100円残るかという感じです。
内山:お話を聞いて思うのは事業承継をして本来であれば会社を存続させればよいと思うのですが、個人の幸せというところを考えるとそれは必ずしも個人の幸せではないと思います。私のお客様でもお父様が亡くなる直前に整理するために会社に入った方がいます。お父様がコンサルで長けた分野を築いた方でした。亡くなられて20年経ってもまだなおあの方の娘さんですねと言われるそうです。自分の色を出したいのに、出せないそうです。先代のコンテンツだけを守るの存在というのが本当につらいそうです。
SOSも女性は本音、男性は建前
谷口:先代の意思を引き継ぎつつ、新しいことができたら良いのですけどね。とどまっていたら置いて行かれてしまいますから。時代の波に乗るためには若い世代ががんばらないといけないです。年寄りは引くのが難しいのです。新しいアイデアが出ないまま衰退していきます。
私も引退したときに商工会議所の人によく決心したと言われました。ほとんどの社長はそれができず、最後に気づいたときは周りに迷惑をかけて自己破産となると。
男性はプライドがあって、赤字になっても何とかやっていくというところがあると。白鳥のように上は澄ましていて足はあがいているという方が多いそうです。女性だから本音でSOSを出せるところがあると思います。男性はSOSを出せない方が多いです。
谷口:うちは町工場の頭の固い職人で、良い時代の職人です。成功体験を語る職人ばかりで、それを言われると私は何も言えません。変革したいことばかりなのに何もできないです。インク1つとっても良いインクがあるのに固まっていて使えないのです。それを整理したくてもみんな職人だからそんな後ろに入っているものまで気にしません。それでインク会社も儲かるからと置きにくるのです。誰一人そのような状況を改めようとしません。面倒なだけで、誰のためにもならないからやりたがりません。
今事業継承をする方に対してアドバイスをするとしたら何かありますか
自分だったら引き継ぐときは次の人が苦労しないように引き継いで良い会社か、自分の代で終わらせた方が良いのかと考えます。でも引き継ぐなら一番会社が良いときにと伝えたいです。先代は口を出さないで、金銭的な援助ができるなら助けてあげるのが良いです。そうでないと次の人はできません。今は70代でも元気です。でもアイデアが出るのは20代から40代です。50才を過ぎたら発想はわきません。それを謙虚に認めて、執着せずに早く引くのが大事です。
男は男には言われたくないのです。でも女性だったらこれぐらいだったら言えるかなというのがあるかもしれないです。それが女性の特権かもしれないですね。娘さんの気持ちも同じ女としてやんわりと伝えられるかもしれないですね。
事業承継は10年事業だと思います。人を動かさないといけないし、社員を納得させないといけないです。一人一人を動かさないといけないです。
事業承継後のご苦労から、今に至るまでのお話、大変参考になりました。本日はどうもありがとうございました
谷口さんの現在
谷口さんは今は、結婚相談所を新たに起業されました。様々なご苦労をされた谷口さんは面倒見がありそうですね!