跡取り娘.com

インタビューinterview

2020.12.27

目指すのは歴史に名を残すチームづくり!
跡取り娘のチームビルディング

跡取り娘インタビュー
Vol.15 松文産業株式会社 
常務取締役/勝山工場長 小泉綾子さん

社会に出ると誰もが一着は揃えるブラックフォーマル。レディース用ブラックフォーマル生地の生産で、国内シェア6割を占める松文産業株式会社は、福井県に本社を置き、山形県と滋賀県にも工場を構える、創業130年の老舗企業です。常務取締役として、お父様とともに経営を担う小泉綾子さんに、事業承継の経緯や男性社員とのチームづくりについて、お話を伺いました。

―まずは、会社の沿革と事業について教えていただけますか?

小泉さん:明治23年創業、今年で130年(2020年現在)になる織物製造業として、福井県勝山町長渕で始まりました。詳しくは父が社史を整理しているところなのですが、横浜で「松文商店」という生糸問屋を営んでいた私の曾祖父が、福井県の機業場の経営一切を引き継ぎ「松文機業場」を創立し、今に至るというのが経緯のようです。

その後は、時代に合わせて、主にポリエステルなどの化繊生地を織る仕事が事業の中心となりました。主力製品はレディース用ブラックフォーマル生地で、国産生地シェアの6割ぐらいが弊社の生地となっており、委託で大手アパレルの生地を生産をすることもあります。

技術力を評価されて、県や大学、メーカーと組んで生地の開発をする事もあります。一つエピソードがあって、陸上の桐生選手が、初めて9秒台を出した時に履いていた、靴の生地の一部に当社の生地が使われていて、その後ドラマの陸上ブームの後押しもあり、密かな社員の誇りになっています。

工場風景

―当初、綾子さんは「跡取り娘」として入社したわけではなかったと伺いましたが?どのようなきっかけで入社されたのですか?

私は、最初会社を継ぐ気はなく、父が理事を務める、保育園職員にと呼ばれました。それまで長らくは、松文産業とは距離のある埼玉県で暮らしていました。というのも、父は、私が小さい頃は松文に勤めていたのですが、親戚との関係で居づらい事情があったようで、一時は松文を離れていました。そして再び、もともと自分が立ち上げた松文のグループ企業に戻ることとなり、その後、松文本社の代表に就任したという経緯がありました。

私も会社を継ぐ気は全くなく、24歳で9歳上の主人と出会い、結婚して実家を離れ、主婦業の傍でパートや内職をして過ごしていたのですが、再度会社に戻って社長を継いだ父から「松文こども園に関わるように」という打診があったのです。私が35歳の時でした。

丁度、主人が会社を辞めようとしていたタイミングだったこともあり、主人は後継者の娘婿として入社し、私はその歳で地元の短大に社会人入学し、幼稚園教諭と保育士資格を取得して、こども園調理室補助や地元公立幼稚園臨時教諭を1年勤めました。
いざ、実家の家業に戻ってみると、主人と私とでは「家業」への考え方に隔たりがあると感じ始めるようになりました。私は一族の一員として、父や祖父の背中を見て育ってきたので、「家=仕事」になるという覚悟があったのですが、育ちが異なる主人にとってはやはりどこか「他人事」で、「贅沢」を捨てられずにいました。

わかりやすく言うと、松文の人間になるということは勝山の人間になるということなんです。例えば、住まいをどこに構えるかということひとつとっても、勝山市は山奥ですが、主人の地元は海の近くだったため、当初は主人の希望で、車で50分離れた街の方に住んでいました。しかし、製造業の経営者は会社のすぐ近くに住むのが普通と考える私には、通勤距離がストレスでした。また、役員となり車も贅沢にしたい主人でしたが、家業の役員というのは社員の規範になる事です。質素に堅実であるというのが、家業を持つ者の習慣として私には身についていましたので…。主人との考え方の違いを、徐々に受け入れられなくなっていきました。

そうした経緯もあり38歳で離婚を決意し、私がいよいよ松文を継ぐ事を考えなくてはならなくなりました。兄もいますが、当時、埼玉に根を下ろしてキャリアをスタートしていたので、私が承継する覚悟を決めることになりました。

-跡取りであった娘婿(パートナー)がいなくなり、家業に入ったことで大変なことはありませんでしたか?

社員は、ありがたい事に家族と会社を分けて考える風土があったので、私と主人の関係については、さほど大変と思ったことはありません。社員の家族に関心がないとも言えますが、そのお陰で、私が隣のこども園で働いていても、社長の娘として認識されずに過ごせました。
余談ですが、こども園の成り立ちは、敷地のすぐ横は機織りさんのお子さんを預かる事から始まった施設で、今でいう事業内保育所として位置づけられ、去年創園50周年を迎えました。

 

始めの半年間は、アルバイトとして製造現場に入り、現場の人とのコミュニケーションを取るように頑張りました。2交代勤務を少しでも行なったおかげか、居心地も悪くなく、新入社員として入ったような感じでした。また、従業員の方の中には私の友達のお母さまもいたので、〇〇ちゃんのお友達として良くして下さったのはありがたい事でした。

その後、正式に入社した直後は、社長付きで後継者としての教育を受けました。 最初は何をしたらいいだろう・・・と悩む日々でしたが、社長室付という立場で社長のスケジュール管理、経営データの整理を勉強しながら、色々なセミナー、研修に出させてもらいました。

こんなエピソードがあるんです。建物がものすごく古くて皆さんどうしたものかと、なかなか手が付けられない状況が続いていました。私の尊敬している、保育園の園長先生が来られた際に「ここは夢を語る場じゃない?自分で壁紙を変えられるでしょ」と言われた事に一念発起。若手の社員と共に応接間4室の壁紙を自分たちで張替え、その後さらに業者さんにリフォームしてもらったんです。そうしたら、営業担当の社員たちが、「ファッション業界の会社なのに建物が古くてお客様を呼べなかったのが、呼びやすくなった」と喜んでくれて!私の成功体験になりました。

その後、工場長、製造部長、現在は勝山工場の総務部を担当しながら、女性向けの商品を扱う会社なので、男性ばかりの職場ですがその意見には染まらずに、“世間一般の女性としての、自分の感覚“を忘れないようにしています。
とは言っても、経験も知識も浅いため、実際の工場運営は、管理職全員の協議のうえで行っています。

突然、社長の娘が登場したことで、年配(60歳前後)の幹部の方の中には面白く思わない方もいらっしゃり、結果、数名の幹部の方が会社を去って行きました。しかし、若い年代の管理職の方々は私の存在を受け入れ、なおかつしっかりと自分の担当部署を守ってくれていて、今は皆に感謝する毎日です。

―男性が多い職場で今後の舵取りを進める立場として、会社運営をどのようにお考えですか?

現在、社員の中に親族は父と私、もう1人しかおらず、松文産業は家業なのか?と問われると答えに困るのですが、社員の中にも、銀行や取引先にも、「小泉」という名前、血筋を重く見る方がいらっしゃいます。これは、曾祖父や祖父、父が築いてきた100年以上の実績と信頼に裏打ちされてのことなので、まずはそれらを裏切らないように心掛けています。

松文を去っていった方は、私が社長の娘だということで、対抗心を持ってしまわれたのかなと今にして思います。男性主導色が非常に濃い世界のなかで、社員との信頼関係を築くまでにはお互いに大変な面もありましたが、今は同年代の管理職の皆とそれぞれの持ち回りで会社をよくしていこうと頑張っています。

私の同年代の部長がいますが、演劇好きな彼に、「代表というシナリオを演じなさい」と言われています。その言葉が腑に落ちて、私も代表の役割をしっかりと演じる事に終始したところ、彼の仕切りで周りも動くようになり、結果が表れ良いチームになってきたという気がします。そのおかげもあり、男女の隔たりがない居心地の良さが松文の職場にはあると感じます。

次世代を継ぐ者として、このチームを中心に歴代に負けないような礎を築いて、次の世代に渡したい、というのが私の思いです。

―お人柄から、芯の強さを感じます。コロナ禍でのマインドセットはどのようにされていますか?

コロナで私たちの事業も大きな打撃を受けて、今後の事業を見直すきっかけになりました。社名のなかに「産業」と入っているのだから、織物意外にも何かを始めてみようかと思い始めています。

私自身が多趣味で、レザー、手織りなどのハンドクラフトは一通りやったし、雅楽や民族舞踊、トランポリンもやったりします。マイノリティーな事ばかりをしてきていますが、ニッチで面白い事業を色々と考えていきたいと、今は考えています。

少し話が逸れますが、技能実習生で中国、ベトナムの方を受け入れています。その面接でベトナムに行くときに、関西空港集合と言われていたのが、急遽ハノイ空港のヤンゴン行き搭乗口まで来てくれと言われて、社員に心配されながら、1人で福井からハノイまで向かうような事をしています。何が言いたいかというと、言葉の通じないベトナムに行っても無事に仕事をして帰ってきているという事なのです。

学生時代にネパールに一人旅をした時、チベット難民2世の人たちが、自国のない状況で、毎日が生きるか死ぬかの危うい状況下にあるのを目の当たりにして、自分が日本に生まれたことを奇跡に感じました。彼らに比べたらなんて恵まれているんだろうと。ご飯も食べられるし、布団でも寝られるし、貧困で死ぬことはまずない。何かを必死でやれば手を差し伸べてくれる人もいるし、会社もみんなが頑張って支えてくれています。

―最後に、小泉さんにはお嬢様もいらっしゃるとのことですが、これからの女性達に向けて何かメッセージをいただけますか?

女性でも、男女平等を取り違えていらっしゃるように感じることが、時にあります。 男性と同じく強くなる必要はないですし、女性だからこその優しさや発想を役割として持っていてほしいです。私も周りの皆さんに指導されまくりの毎日ですが、お互いの不足を補いながらひとつのチームにしていけばいいと、日々思います。

娘も私と母の通った大学に入り学んではいますが、同じ学び舎での経験であっても、時代による変化があると感じています。私は私の時代の役割を全うして、次の世代に無事に渡したい思いです。

高校でのインド舞踊。
高校2.3年生時に学校での文化講座で選択。このあたりから、皆とはちょっと違うことに興味を持つようになったのではと思います。

学生時代にどっぷりと浸かった雅楽だそう。写真は管弦の様子です

インタビューアー&執筆
跡取り娘ドットコム 代表 内山統子

編集
跡取り娘ドットコムパートナー 小松智子

松文産業株式会社HP

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