跡取り娘インタビュー
Vol.22 松本鉱泉株式会社 専務取締役 三木祐香子さん
「鉱泉」とは、地下からの湧水(わきみず)のこと。転じて昔は、飲料を製造している会社には「鉱泉」という名がついたそうです。松本鉱泉株式会社も、その歴史は戦前に遡ります。家業として引き継いできた飲料の製造販売業を、出征で一度は廃業したものの、戦地から生還した創業者の手により戦後の混乱のなか再開し、今に至ります。
「飲料は生きる源」との経営理念を掲げる松本鉱泉株式会社の三代目として、2022年に事業承継を控える三木裕香子さんに、家業に入社した経緯や葛藤、入社後の取組みなどについて伺いました。
―家業に入るまでのことを、お聞かせいただけますか?
三木さん:大学を卒業してから家業に入るまで、英会話スクールで英語講師をしていました。
私が小学生の頃から、母はよく英語の音楽を聞いていたのですが、言葉の意味は分からないものの、その「心地よさ」に強く魅かれて、学生時代はとにかく英語一辺倒。早い段階から「英語を使った道に進むぞ!」と心に決め、留学も経験しました。
そんな中、学校という枠組みに捕らわれずに、人と触れ合うなかで英語を広めていきたいと考えるようになり、就職は「教師」ではなく「英語講師」の道を選びました。大手英会話スクールでの講師の仕事を通して、人見知りの性格も変わり、世代を超えた方々への対応力と度胸が身に付きました。
仕事が本当に楽しくて、気付けば、英語講師としてのキャリアは20年以上になっていました。
―それほど好きだった英語の仕事を離れ、家業に入られたきっかけはどのようなことだったのでしょうか?また、その時、どのようなお気持ちでしたか?
高齢になった母が弱音を吐くことが増え、特に70歳を超えてからは、頻繁に電話を掛けてくるようになりました。大阪の中小企業にもよくある「経営者の高齢化問題」です。
当社の創業者は、私が子供の頃から生活を共にしていた母方の祖父。母も跡取り娘で、当社がかつて経営していた居酒屋の女将の立場から、承継予定だった叔父の急逝で、思いがけず事業を承継しました。そのような経緯もあり、ファミリー内の関係など、それなりの気苦労がありました。
そんな母からの電話を受け続けるうちに、電話越しではなく、傍で母をサポートしたいという思いが徐々に強まりました。苦労して私と弟を育ててくれた母への「恩返しの気持ち」が、天職とも思えた英語教師への想いを上回ったというのでしょうか…。「家業に入り、傍にいて欲しい」と訴える母を支える決断をしました。
とは言え、長年私の授業を受講し続けてくれていた生徒たちのことや、自分の気持ちを整理するのには、1年ほど要しました。その間は、家業に入ることに向けてというより、残された期間は思う存分英語の仕事をして、英語の仕事に「さようなら」を告げようという気持ちが強かったです。
―非常に大きなご決断でいらしたと思いますが、環境の変化に戸惑いを感じることはなかったのでしょうか?
家業へ入社してまず感じたのは、「英語講師とは全く違う世界だ!」ということでした。英語講師の仕事では、企業や大学へ出向き、日々違う場所で違う人たちに英語を教えるという職場環境でしたから、出社した後、1日中デスクワークという働き方は、とにもかくにも私には辛くて(笑)。
最初の頃は、自分の心の中で「妄想」(笑)を膨らませ変化をつけては、何とか楽しもうとしたり、意味もなく社内をうろうろと歩いたり…。でも、1年も経てば良くも悪くも日常となりました。
違和感を持ったのは、英語の世界から抜け出して、凄く寂しかったし、恋しかったから。「なぜ辞めてしまったのだろう」との思いが、時に頭を過りました。しばらくの間、かつての教え子や取引のあった企業の方などからの依頼に応えて、自宅に戻ってからSkypeでオンラインレッスンをやったりして、心の安定を保っていました。良くないと思いつつも、英語の世界ではイキイキと働いていたので、そのギャップが正直辛かったです。
そんな中、どうせ「妄想」するなら、前職で深められた英語と今の仕事を組み合わせて何かできないかと思い付きました。新しい商品が出たら、その商品名を真剣に英語で考え、ブログにアップし出したことがきっかけとなり、気持ちが前向きになれました(例:“じっくりコトコトつぶ入りとろ~りコーン”→ Thoroughly simmered creamy corn soup with fresh corn kernels in it.)。入社当初は“逃げの場”だった英語が、今では仕事と良い形で繋がり、融合出来てきたと感じています。
そして、入社して半年ほど経ったころ、母から「跡を継いでほしい」と言われ、家業への想いと「母を何とかしてあげたい」という「家族愛」から、承継を決断しました。その頃は未だ、私も会社に馴染めていなかったので「家族愛」が先に立ってのことでしたが、そこから使命感や責任感などが生まれ事業意欲が湧いてきました。
―家業に入られた当初は、弟さんが承継予定だったそうですね。三木さんが承継すると決まってから、お母様やパートナーとのご関係に変化がありましたか
6歳下の弟は既に入社していましたが、結局、私に白羽の矢が立ちました。
母は私が傍に居ることだけで安心し、私の仕事内容については、深く考えていなかったようです。何をして良いのか分からず、ただ母の隣に座り何をするでもなく過ごしていた期間は、社員には「どうしてこの人はここにいるのだろう?」と思われていたのではないでしょうか(笑)。
ですが、自分が承継するとなると話は違ってきます。会社のことも分かり始めて、「おかしい」と思う点が見えてくると、母とは言い合うことが増えました。以前は、経営を意識せず母の話を聞いていたのですが、承継を決めてからは、気付いた点はすぐに改善したいと思うようになりました。ですが、母は「すぐには変えられない」と言い、意見がぶつかります。
でも、正面からぶつかって徹底的に言い合うことで、問題解決のための歩み寄りが出来るようになってきました。今では母との会話の9割は家業のこと(笑)。例え喧嘩になっても最後は穏やかに「ごめんなさい」で終われています。母とは、しこりを残さず本音で話せる関係性にあると思っています。
パートナーからは、家業に入ると告げた際には、「英語の仕事を辞めるのはもったいない。良いの?」と驚かれました。ですが、承継を決めた際には、「がんばりなさい」と送り出してくれました。
ただ、徐々に仕事の比重が大きくなり、家に帰っても仕事の電話などをするようになると、パートナーもあまり良い顔をしなくなりました。食卓でも仕事の話をする家業というものに触れたことが無いと、「家業を継ぐことの意味」がピンと来ないところがあるのではないでしょうか。仕事に関わりのなかった子供の頃に、私も似たような感情を抱いたことがあったので、今は、家庭内には家業のことを極力持ち込まないよう、オンオフを切り替えるよう心掛けています。
―三木さんが後継者と決まり、社員の間に何か変化がありましたか?また、新しい取組みをされていたら教えてください?
当初は、「この人は何をしてくれるのだろう?」と、社員からは客観的に様子を見られているように感じました。今では、母の右腕に色々と助けてもらいながら、有給休暇の整備や、従業員一人ずつと対話する時間を設ける等、少しずつ制度を整え、古い体質から社内変革を進めているところです。
私の入社以前は、管理部門と現場が完全に分担されて、トップダウンで上から押さえこんでいる雰囲気が強かったのですが、その点は随分と改善されています。私が事業承継することをアナウンスしてからは、周囲がさらに協力的になってくれて、社員のことをとても頼もしく感じています。
目下の優先事項は、「風通しの良い会社」にしていくことです。その取り組みのひとつとして、ボトムアップで、現場で働く従業員からもアイデアを出してもらい、社員サイドからの話を聞けるような「雑談会」を開いています。
そして、社員から出されたアイデアを実行するために、「全員が戦力」である会社にしていきたいと考えています。営業職、事務職に関わらず、一人一人が何をするべきかを自ら考え自ら行動できるようにしていきたいです。
また、会社のホームページは、一念発起して、従業員と協力しながらリニューアルしました。通販商品の案内がメインの内容から、どのような歴史があってどのような理念で経営しているかなどの会社の特徴を伝えるだけでなく、英語のスキルをHP上で楽しみながら生かしています。
―2022年の事業承継に向けて、意欲的な取り組みをされているのですね。最後に、キャリアチェンジを伴う承継と向き合っている跡取り娘の皆さんへのメッセージをお願いします。
「跡を取る」という立場は、なりたくてなれものではありません。辛いこともありますが、その立場を存分に楽しんで、辛いことすら楽しみに変えていけたら、必ず乗り越えられると思います。妄想もOK(笑)、見方を変えれば解決策が見つかります。
家業に入った当初こそ戸惑いましたが、今の私は、収益は維持しながらも、事業承継を通過点に、地域密着型で進めていく事業アイデアや、全く違う分野での新規事業プランも検討したり、事業意欲に溢れています。20年以上のキャリアには一区切り、新たな人生のスタートです!
せっかく「跡取り娘」という希少な立場で生まれてきたのですから、その立場を楽しみながら、最期まで好奇心を持って楽しんでいきましょう!
インタビューアー
跡取り娘ドットコムパートナー 丸山祥子
執筆・編集
跡取り娘ドットコムパートナー 小松智子