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インタビューinterview

2021.08.19

家業を続ける“跡取り娘”の誇りを胸に!
日本のモノづくりを支える幸せ

跡取り娘インタビュー
Vol.24 有限会社ウンノ研磨工業所 代表取締役 渡辺 礼子さん

日本のモノづくりを支えているのは切削工具に他ならないと自負する渡辺礼子さんは、1965年創業の有限会社ウンノ研磨工業所を、2020年12月に事業承継しました。女性経営者が取り分け少ない製造業において、お取引先の要望に応えるだけでなく、社員にとってやりがいや幸せを感じられる会社であり続けたいと語る渡辺さんに、ご自身のキャリアや二代目跡取り娘としてのご経験などについて、伺いました。

三姉妹の長女である渡辺礼子さんが、二代目を事業承継。

家業に入られるまでのことをお聞かせいただけますでしょうか?

学生時代に遡りますが、「家業の一助になれば」との思いで、工業高校に入学しました。ところが、専攻した化学科の学びに熱中できずにいたところ、ファッションに目覚め服飾の専門学校へ進学しました。専門学校を卒業後は、大手アパレル企業に就職し商品管理部に配属されました。

そんななか、職場の上司に誘われゴルフに行ったところハマってしまい、ゴルフのプロになろうと群馬県藤岡市にあるゴルフ場に転職しました。22歳でゴルフを始め、「10年でプロになれなかったら辞める!」と心に決めて挑みましたが、念願叶わず32歳で帰郷しました。

とても個性的なキャリアでいらっしゃいますね。その中での学びや、今に生かしていらっしゃることがありましたら教えていただけますか?

ゴルフは自分との闘いです。少しでもマイナス思考になり気持ちが弱くなるとスコアに反映します。ですから、精神力が鍛えられました。また、それまでの私は感性で動く人間でしたが、ゴルフで勝つためには戦略が必要で、理論立てて考え計画することを学びました。そして、キャディを長くやったことで、人との接し方や付き合い方も学ぶことが出来ました
ゴルフ場に入社後は、寮生活を経て1人暮らしをするなど、社会の厳しさも知りました

研修生時代にはプロへの帯同キャディを経験。前列向かって右端が渡辺さん、中央は当時飛ばし屋と呼ばれたジョン・デイリープロ、左端はコーリー・ペイピンプロ。後列には中島常幸プロ。

―ゴルフで精神的な成長や人付き合い、社会的自立を経験されたのち、家業に入られたのですね。家業に入ったきっかけについてお話いただけますか?

ゴルフを辞めてから1年ほどは、燃え尽き症候群で腑抜けた状態になってしまいました。

次の目標が見つからないなか、ゴルフ場を辞めた退職金で近くのパソコン教室へ通いました。ちょうどワープロが出始めた頃で、ゴルフ場でパソコンを導入していたのを目にしていたこともあり、もしも家業に入り事務をやるとしたら必ず必要になるスキルだと考えたからです。その間に居酒屋のアルバイトで生計を立てていたところ、幼馴染だった主人と地元で偶然再開し、33歳で結婚をしました。

一方、家業が忙しそうだったので、日中は事務や配達の仕事を手伝い始めたのですが、手伝ってさえいれば社員にさせてくれるのだろうという考えの甘さを父は見抜いていたのか、「機械を触らせてほしい」と言っても、「だめだ、女は続けられないし覚えられない」と断られ、「結婚後は、機械仕事などやっていられないのだから」と諭されました。女性だって出来るのに…と悔しさを抱きつつも、「社員にして欲しい」と私から父にお願いし、事務員として正式に入社させてもらいました

20代のお父様と4歳頃の渡辺さん。当時、工場は青物横丁にあった。

―家業に入られて、何か変革をされたのでしょうか? また、ご自身の意識にも変化が生じましたか?

家業に入った当初は、母と妹が事務を切り盛りしており、OA化を提案しても、特に親の理解が得られませんでした。「なぜ、こんなに費用のかかることをしなきゃいけないのだ」とか、「今のままで何が悪いの」など色々言われ…。反対にあいながらも、アナログの状態から少しでも仕事が楽になればいいとの思いで、徐々に変えていきました。

その結果、請求業務が目に見えて楽になりました。少ない人数で業務が回るようになると自分にも余裕が出てきて、それ以外の経理業務はどうなっているのか、母と話をするようになりました。でも、母から「会社の金庫番としての業務は、役員にならないと扱えないのよ」と言われてしまいました。

その母の言葉で、経営にも目が向くようになり、両親ができるなら自分もできるのではないかと思い、「役員になる!」と覚悟をもって自ら宣言。2017年4月に取締役となり母の経理業務を少しずつ引き継ぐなか、後継者塾などで簿記から講義・セミナーまで目いっぱい受講しました。

家業の町工場は、現場が主役、職人が一番のいわゆる男社会で、創業者である父が一代で築き上げた会社です。ですが、実際に会社を回すうえでは、経理を担当する母の力が非常に大きいことにも気づき、家業を守り社員を守るために母のような“縁の下経営”をしたいと、経営のイロハについて学びました

“現場での作業が出来る”ということと“経営する”ということとは別という点を学べたことは大きな気付きでした。創業者の父はその両方を自身の中に持ち合わせていますが、必ずしも私が、その両方を持ち合わせる必要はないのです。

一方で、後継者塾で学んだことを自社で生かしたい気持ちから、「家業から企業に変えたい」との発言をしたことなどが原因で、一部社員の反発を招いてしまいました「ここまで地道にやれているのに、なぜ急に会社を大きくしようとするのだ」と言われてしまい、一時期は、現場を知らない新参者に引っ掻き回されてなるものかという雰囲気になってしまいました。

ウンノ研磨工業所では、研削後の工具へ多種多様なコーティングを提供。コーティングには、工具を長持ちさせるなどのメリットがある。

―一部の社員の方たちから反発をかった状況から、どのように社内をまとめ、どのように乗り越えていらしたのでしょうか?

取締役になった当初は、家族を含め周りに一切受け入れてもらえませんでした。そこで、自分を認めてもらうために何を努力したらいいかを考え外回りの掃除と父が毎朝おこなっていたトイレ掃除を交代させてもらいました。

やはり、長年の習慣は社員も身内もそう簡単に変えられるものではなく、私自身のなかで、折り合いを付けながらコツコツ徳を積まないと、社員であれ、身内であれ、人は付いてこないという境地に今は至っています。人の話を聞く、社員を褒める、お礼を言う、承認するなど、まずは自分が変わることを心掛けていますが、未だ奮闘中です。乗り越えられたと分かるのは、もしかしたら、次の後継者に経営のバトンを渡せた時かも知れません(笑)。

また、代表とそれ以外の役員とではお客様の見る目にも違いがあることや、相手への配慮や、発言一つにおいても気遣いが出来なければ、世間の信用はあっという間に地に落ちるということにも気付かされました。

ですから、会長となった父に対して改めて尊敬の念を持つようになりました。父の偉大さや経営に関する見方代表であることの重責についてなど、これからも父から多くのことを学びたいと思っています。

役員就任後の私の大きな役目に、「現役中に故郷の自己所有地に工場を建てたいという父の夢を叶える」があり、2019年12月から茨城工場移転計画をスタートしました。建築許可が下りたのをきっかけに、2021年5月の移転と稼働を目標とする計画を、父に持ち掛け説得しました。組織の刷新と移転を伴う新工場建設に1年以上の時間が掛かりましたが新工場の目玉として新しい機械と検査機を導入し、今まで以上のサービス提供が可能となりました。

それと並行して、本社工場でも組織改革を行い、思い切って、私と価値観が一致している職人に、役職付けにし権限を委譲し任せる範囲を広げたところ、本社工場のモチベーションがアップし、今まで以上に良い雰囲気になっています。

お父様の念願を叶えた、新茨城工場。

―まずはご自身を変えていかれたのですね。将来のビジョンについてお聞かせください。

父から2020年12月に代表を譲ってもらいましたが、父は会社の基盤を作ってくれたので、私の経営課題は存続する力だと考えます。父の教えを大切にした企業理念「お客様を一番に 笑顔と挨拶で 利他の心」に沿った経営をして行きたいと思います。ヒト・モノ・カネ・時間・情報をどのタイミングで使っていくのかを、絶えず考えて決断していかなければなりません。

今後、益々デジタル化が進むなか、コンピューターで代わることのできない“手技”や“技能”にこだわりつつ、切削工具注1の再生と加工に注力していきます。量産品ではない、敢えて手間のかかるアナログを突き詰めて、一人ひとりの職人の技能を高付加価値化したサービスで、モノづくりに携わる人々のこだわりに応えていきたいです。

そして、当社の汎用性の機械操作における研削技能を社外から学びに来るような、社会に役立てる存在価値のある会社にしていきたいと考えています。

職人さんの手技や技能を継承していくことは、今後の雇用にも繋がります。目下、単能工から多能工へ社員のステージアップを図っています。

職人教育や独自の技術を強みに、次世代が会社の将来を描けるような状態で、私の後に続く承継者に経営のバトンを繋ぐのが私の役目です。

―最後に、跡取り娘さんへのメッセージをいただけますでしょうか。

跡取り娘のみなさんは、会社を継ぐ決断をしてから、色々と悩み、大変なご苦労をされているのではないでしょうか。ですが、中小企業のうち実に65.1%が後継者不在にあるなか、“跡取り娘”という素晴らしい選択をされた皆さんの会社は、とても幸せな企業なのです。様々な困難にぶち当たろうとも、事業承継という選択をして家業を続けている誇りを忘れないように…。

私の好きな言葉は、「幸せは自分の心が決める」です。私は、お節介で(笑)、余計な気を回しては他人の言葉や言動が気になる自分の性格が、嫌いでした。でも、自分が一生懸命に前向きな行動をした先で人に喜んでもらえたらいいと思えるようになってからは、自分目線で物事を考えることに肯定感が持てるようになりました。遠回りしたように見えるキャリアも、今に繋がっていると考えています。幸せは自分の心の中にあります

跡取り娘ドットコムを通じて、跡取り娘の皆さんと繋がっていることが、今の私の励みになっています。これからも、同じ立場にあるもの同士、共に頑張っていきましょう!

注1 ) 私たちの身の回りには、金属で作られた製品が数多くあり、その加工方法の中で最も多く用いられるのが切削加工。その切削加工の際に用いる工具を切削工具といい、金属に穴を空けたり溝を入れたり削ったりして理想の形状に近づけていくために用いらている。

 

インタビューアー
跡取り娘ドットコムパートナー 丸山祥子

編集
跡取り娘ドットコムパートナー 小松智子


木部みゆき/小松智子

   有限会社ウンノ研磨工業所 

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