跡取り娘インタビュー Vol.16 とちぎ園芸 富久田三千代さん

ひと鉢の花の美しさに心を動かされたり、庭先の花や緑に心が癒されたりした経験をお持ちの方は少なくないでしょう。宇都宮市の園芸専門店・ガーデンセンターである「とちぎ園芸」をお父様から承継した富久田三千代さんは、女性の視点を取り入れたアイデアで、地域に喜ばれる新たな園芸サービスを提供しています。庭先に「お花を植えることは社会貢献」と語る富久田さんに、事業承継の経緯や「社会貢献」の言葉に込めた想いを伺いました。

とちぎ園芸はお父様が起業されたのですか?

父は、もともと園芸関係の会社に勤めており小売りもやっていたのですが、私が生まれた年に脱サラして、とちぎ園芸を立ち上げました。始めは生産農家でスタートし、それから10年ほど経った頃、店舗を構えて販売も手掛けるようになりました。

父は園芸一筋の人。母は、お客様のなかに今でもファンがいるほどの接客上手、販売面で会社を盛り立ててきました。 ですから、家庭でも園芸の仕事に関する会話が自然と飛び交っていました。家庭よりも仕事優先!父も母も本当に仕事に一生懸命でした。

子どもの頃は、そんな両親を少々恨めしく思ったこともありましたが、自分が仕事をするようになって、あの頑張りがあったから今のとちぎ園芸があるんだなと、両親のことを理解できるようになりました

―富久田さんは、短期大学で造園について専門的に学んだとのことですが、将来の事業承継を考えてのことだったのでしょうか?

いいえ(笑)。当時は、事業承継については全く考えておらず、将来は園芸以外の仕事をしようと思っていたいたくらいです。でも、高校二年生の進路選択の際に、父にストレートに聞いてみたんです、「園芸って面白いの?」と。すると、「こんなに面白い仕事は無い」との答えが返ってきました。「植物を育てて、しかもそれをお客さんが喜んでくれて、こんなに面白い仕事はない」と。それを聞いて、「じゃあ一度、園芸をやってみようかな。」と関心が湧いて、その道に進むことに決めました。私が本格的に園芸を学ぶ選択をしたことを、父はとても喜んでいました。

親類に園芸に関わっている者も多いのですが、親類のなかに卒業生がいたことから周りの薦めもあって、進学先は、全寮制の恵泉女学園短期大学の園芸生活学科を選び、短大入学と同時に栃木を離れ、神奈川での寮生活が始まりました。短大では、一年次で園芸や造園の基礎を学び、二年次の専科では、造園を選択しました。造園を選択したのは、京都の庭園や公園のように、永年残り続けるものを自分の仕事にしたいと思ったからです。

そして、短大を卒業後は、都内の造園会社に就職したのですが、就職先の会社にとって、設計の出来る女性社員の採用は、私が初のケースでした。設計をするには現場を知らなめればならないということで、入社早々、現場に出たのですが、男性ばかりの世界で、二十歳そこそこの小娘(笑)が、監督として現場に行くわけですから、当然、職人さん達とぶつかりました。それこそ入社してしばらくは、私に対して「お前の言うことなんか聞けるか!」っていう雰囲気が、造園の現場にありました。

でも、私はそれを気にせず、男性職人たちのなかに飛び込んで行きました。最初はうるさがられましたが、「分からないので教えてください!」と、こちらから積極的にやり取りを繰り返すうちに、徐々に道具の使い方などを教えてくれるようになって、現場監督としても認めてもらえるようになりました。

実は、入社当初、「監督は、職人と一緒になって仕事をするな」と、会社からは言われていたんです。恐らく、監督は現場を取り仕切らなければならないので、仕事の線引きをしっかりしろということだったのでしょう。でも、その逆の接し方をしたことで、職人の方たちとコミュニケーションが取れるようになったのです。この経験を通じて、「人間対人間なのだから、話せば分かり合えるんだなぁ」ということに気付かされました。

入社当初の衝突を乗り越えてから、職人の皆さんにも可愛がってもらって、入社して5年が経つ頃には、ひと現場を1人で設計させてもらえるなど、仕事は充実していました。

―そんななか、ご実家の栃木に戻ったのは、どのような、いきさつがあってのことだったのでしょうか?

当時はガーデニングブームの到来で、家業ではガーデンセンターを移転して拡大することになり、人手が足りない状況でした。そこで、家業を手伝ってくれないかと言われまして…。東京の暮らしにすっかり慣れていましたし、仕事も充実していたので、再びの田舎暮らしに戻れるのかどうか? 仕事の内容も造園とは違ってしまうだろうし…と、正直なところ、宇都宮に戻ることにはかなりの葛藤がありました。ですが、「もちろん戻ってくるよね!?」という家業のみんなからの期待をヒシヒシと感じていたし、一方で、私のなかでも、今までのことを一度リセットして新天地で頑張ってみてもいいかな?と思う時期に来ていたこともあって、栃木に戻る決心をしました。

―家業に入ってみて、仕事や、社員の皆さんとのご関係はいかがでしたか?

栃木に戻り、家業のガーデンセンターで働き始めたのですが、景気が良かったのもあって、面白いように売れるんですよ。その時に、小売りの楽しさを覚えました。ちょうど、全国都市緑化フェアの開催場所が宇都宮市だったことから、宇都宮市に戻ってからも思いがけず造園の仕事にも携われましたし、今までのキャリアを生かして自分の力を試せて、思った以上に充実した毎日を過ごしました。

それまでも、帰省の際にはちょくちょく家業の店舗に顔出ししていたので、「本格的に戻ってきたんだね」ということで、スタッフやお取引先ともすぐに馴染むことが出来ました。 そして何よりも、栃木に戻ったら戻ったで、居心地がとても良くて(笑)。今度は、もう栃木からは離れられない!と思うようになりました。

父にしたら、「何でも言える娘」が戻ってきたのですから、仕事になるかどうかが分からない新しいことや時間が掛かりそうな仕事は、全部私と弟に回すわけです。例えば、経理の仕事は早く娘に引き継ぎたいし、会計ソフトへの移行も娘と息子にやってもらった方がいいし…といった感じで、戻った当時は忙しくて本当に大変でした。でも、負けず嫌いの性格なんでしょう、なんとしてでも結果を出そうとがむしゃらに頑張りました。無理をしても、とにかく体は丈夫なんです(笑)。

家業に戻ってから、結婚、三人の子供の出産・子育てと、ライフイベントを経験するなかで、妊娠中も出産ギリギリまで仕事をするなど、両立はなかなか大変でした。私の母がかなり天然でして(笑)、やってほしいと思ったことは相手の状況構わずお願いしてしまうところがあって。極めつけは、私が出産したその日に、経理の仕事を産後の病室にまで持ってきたんです。今でこそ笑い話ですが、あの時は本当にびっくりしました。

―富久田さんには弟さんがいて、同じく、とちぎ園芸に入られているなか、富久田さんが家業を継いだとのことですが…。

とちぎ園芸に入社当初、私には、会社を継ぐ気はそんなに無かったんです。弟は、主に流通の方の経験を積んで、私より先にとちぎ園芸に入社していましたし、あとから入社した私は、割と細々としたことを担当することが多かったので、ゆくゆくは弟が会社を継ぐのだろうと思っていました。

ですが、父が承継を意識し出してから、最終的な結論がなかなか出なくて…。「年齢的に少しでも早く引き継ぎたい!」「もうこの一年で決めないと!」と、父が心から強く思えたタイミングで、やっと結論に至りました。その間、4~5年ほど掛かったでしょうか。

弟は、職人肌で、私のほうが社交的、なので、経営に向いているということで、家族の合意があって私が承継したのですが、決め手になったのは弟の言葉でした。「自分はどちらかというと人前で話したりするのは向いてないし、銀行とのやり取りも気が進まない。自分よりお姉ちゃんのほうが絶対向いてるよ!お姉ちゃんがやった方がいい!」と。

父親もそれを聞いていて、父親としては息子に継がせたいという思いがあったようですが、一経営者として判断するなら、「お前(私)の方が妥当だろう」ということになり、「じゃあ、分かりました。やります。」と、2019年10月に承継しました。そして今、弟は専務取締役として、一緒に経営に当たっています。

―働く女性としてのご経験が、今の事業内容に生かされているのでしょうか?

女性の視点を取り入れて、新しいサービスを提供しています。その一つが、「お庭ソムリエウェルベル」です。お客様との会話の中から生まれたサービスで、「歳を重ねるにつれ、今までやっていた庭仕事が難しくなってきた」「重いものが持てなくなった」との声に応えて、2020年3月にスタートしました。

そういった困りごとのあるお客様のところへ、専門知識を持った当社の女性スタッフが伺って、花壇のお手入れや雑草取り、花苗の植え込みから花苗のアレンジなど、お客様の要望をしっかりお聞きしたうえで、お庭の手入れをします。雑草取りといえども専門知識がないと、抜いてはいけない大事な植物を抜いてしまうということが起こります。園芸を楽しんでいらっしゃるお客様にすると、それはとても残念なことで、だからと言って、頼む先がなかったんですね。

女性だけのスタッフで、お庭の手入れに特化したサービスを提供するというアイデアは、ベアーズの高橋ゆき副社長の講演を聞きに行った時にヒントをもらいました。今は、家事代行を抵抗なく利用する世の中になっているのだから、その延長でお庭のお手入れの代行も受け入れてもらえるのではないかと高齢化社会がますます進んでいくことも、頭にありました。

[お庭の御用聞き」「家事代行のお庭版」のようなイメージで、庭師に頼むほどではない、小さな作業を依頼できる気軽さと、スタッフの専門性が受けて、庭仕事が辛くなった高齢者や、お庭の手入れに時間を取れない若年世帯にも好評で、地域の皆様に大変喜ばれています。庭主は女性が多いので、「まるで娘が訪ねてきたかのよう。楽しくおしゃべりしながら、お庭もきれいになったわ」という感覚でご利用いただいています。登録制にしていますが、一年を通じた手入れをお願いされるお客様もいます。

もう一つは、バスツアーです。バス会社の方と一緒に、一から企画を立てて、近県各所のお花を見て回ります。名所だったり、ガーデンだったり、素敵なお庭の個人宅を訪ねることもあります。ツアー中のお客様との会話や雑談の中に、多くの気付きがあるんですよ、お客様のニーズを知ることも出来るし、日々の業務に戻ってからも店舗の品揃えの参考にしたりしています。残念ながら、コロナ禍で目下は中止しているのですが。

―富久田さんの「事業に込めた思い」をお話しいただけますか?

常々、皆さんにお伝えしているのは、「お花を植えることって社会貢献なんですよ」ということです。例えば学校に行きたくないなと思っている男子高校生がいたとして、彼が通学途中で誰かの家の庭先に咲いた花を見て、少し元気が湧いて学校に行こうという気になるかもしれない…。そうやって道を通る人、花を目にした人の癒しや活力になるんです。

最近、大変興味深い調査結果を知りました。3万世帯に行ったアンケート調査で、特に私が注目したのは、「ガーデニングをやっていますか?」という質問に対する答えです。28%の方が「はい」と答えていて、20%の方は以前からですが、8%の方はコロナを機に始めたそうなんです。この8%というのは、予想以上の数字です。新型コロナの感染拡大は当社の事業にダメージもありますが、コロナ禍だからこそ、自分の心持ちやモチベーションを保つために、花や植物を植えたり愛でたりする方が増えたことは、素直に嬉しいことです。

家で過ごす時間が増えたことで、観葉植物の売上げが伸びたと聞きますが、お庭の手入れをすることで、自分自身がポジティブになったり、優しい気持ちになったりするだけでなく、家の外から庭先の花や植物を目にした人までが癒される、その社会的な意義を、アンケートの結果が示しているように思います。このことを、皆さんにもっと伝えていきたいと思っています。

私の代になって、経営を見える化しようと取り組みを始めています。当社のコンセプトは「POWER OF PLANTS」。最近、初のイメージ広告を新聞に掲載しました。「植物が与えてくれるものは癒しだけではありません。懸命に花を咲かせようとする植物たちの姿があなたの背中を押してくれるはずです」とのメッセージを載せて。コロナ禍にあって植物によって十分癒されているけど、これからは、植物の力を、あなたの背中を後押しするのに使って欲しい、植物は自分たちを勇気づけてくれる、コロナになんて負けてられないよ!という思いを込めました。

新型コロナウィルスの感染拡大で、人に会ったり、外に出掛けたりすることも、以前のように自由に出来ない状況が続いていますが、植物が、あなたの持っている力を引き出し、後押ししてくれることをお伝えしていきたいと考えています。

インタビューアー

跡取り娘ドットコム  内山統子 小松智子

執筆・編集

跡取り娘ドットコム  小松智子