跡取り娘インタビュー
Vol.25 株式会社津多屋 代表取締役 高橋 典子さん

1960年代後半のスーパーマーケットの出現は、生鮮食品の売り方・買い方を大きく変えました。そんななか、「津多屋」の暖簾を守りつつ、祖父の起こした食肉卸業を再編し不動産業へと事業集中を図った三代目跡取り娘の高橋典子さん。そのために、時間を掛けて難関の資格を取得しました。「家業を継ぐもの」と、事業承継をごく自然なこととして捉えていたと語る高橋さんに、事業承継の経緯や今後の展望などについて、伺いました。

職場でのワンショット

―家業に入るまでのことをお聞かせください。

母のすすめで大学は商学部に進学しました。ですが、音大に進み音楽を学びたかった想いを捨てきれず、大学卒業後、音楽療法の専門学校に3年間通いました。専門学校を卒業してから約5年間、障害者施設や高齢者施設で音楽療法に携わりました。

専門学校に通っている間に、経理などの管理業務に少しずつ携わるようになり、30歳を過ぎた頃には、家業に専念するようになりました。

―家業に入られるまでは、ご自身の関心と学びを生かした仕事をされていたのですね。おじいさまが起業されたと聞いていますが、家業を継ぎたいという意思を以前からお持ちだったのでしょうか?

祖父が起業し、昭和26年から食肉卸業を営んできました。日本人の食肉量が増えていくなか業績を伸ばし、住み込みで社員を雇い入れ祖母が食事を作り、一時は社員が30名ほどいました。祖父の兄が食肉卸業を営んでおり、末っ子だった祖父は、独立し起業したというのが経緯です。

祖父は、社員を家族のように可愛がり慕われ、統率力のある素晴らしい経営者でした。
幼い私から見ても人望があり温かみのある人柄で、私はそんな祖父に憧れていました。ですから、妹と二人姉妹なのですが、幼い頃から、私が祖父の意思を継ぐものだと思っていました。また、両親との会話の中で「跡を継いでくれるよね?」と言われたこともあり、「いつかは家業を継ぐ」という責任を感じるようになりました。

1986年の社員旅行にて。3列目右端の子供が高橋さん

―とは言え、家業に入られた後、お父様に認められるまでにはご苦労があったそうですが、その辺りのことを詳しくお聞かせいただけますか?

実は、株式会社津多屋とは別に、有限会社津多屋商事があり、有限会社津多屋商事でも取締役という立場で経営に携わっています。株式会社津多屋は食肉卸業と不動産業との2本立てだったところ、5年ほど前に不動産業1本に事業再編しました。有限会社津多屋商事は昭和47年に設立され、各々不動産物件を所有しています。扱う物件は異なり別組織ですが、業務内容は同じです。

私は食肉卸業も含め家業を発展させたいと思っていたのですが、父は当然のことのように「女だからそんなことはしなくていい」と考えていました。そのため、株式会社津多屋の管理業務を手伝っていく中で、やりたいことが出来ずもどかしい時期がしばらく続きました。

私の想いとは裏腹に、祖父から父へと承継していくなか、食肉卸業を取り巻く環境は厳しさを増していきました。その状況を受けて父は、周囲や社員に迷惑をかけることの無いかたちで、株式会社津多屋の食肉卸業を徐々に縮小していく決断をしました。

父や母には食肉卸業でやり切った感があり、津多屋の今後の事業展開についても保守的でした。そんな両親に、祖父が残した不動産を活用して色々とチャレンジしていきたい私の想いを、どのようにしたら受け入れてもらえるのかを考えました。私自身が会社の事業内容についてもっと知識と理解を深めたら認めてもらえるかもしれないと思い至り、10年ほど前から資格の勉強を始めました。

そんな想いで、宅地建物取引士やCFP(Certified Financial Planner; 認定ファイナンシャルプランナー)の資格を取得しました。特にCFPの資格は、時間をかけないと取れない難関の資格で、会社に来る人来る人が揃って「凄い」と私の努力を誉めてくださいます。そのことで両親も、「そんなにすごい資格なのか」と認識してくれるようになり、頑張りが認められ、任される仕事が増えてきました。

祖父が建てた不動産物件には、築後40~50年経ったアパートも多く、修繕費等の経費削減を考えなければなりません。加えて、土地活用や相続対策、節税も考えなければならず、CFPが役立ちます。また、祖父の代で取得したマンション、ビル、駐車場、アパートなどは、私が宅建建物取扱士の資格を取得し賃貸を業として行うことで経費削減に繋がります。そういった点を周囲の方々からご指摘いただいて、ようやく父も、私の想いに理解を示してくれるようになりました。

資格取得もそうですが、人に言われたから何か行動を起こすのではなく、自ら積極的に行動するよう、意識して心掛けています。

 

神田明神祭にて。手前左端が高橋さん。

-高橋さんは事実婚を選択されたそうですが、どのような理由から、姓を変えないという選択をされたのでしょうか?

高橋姓を名乗り続けたいと思うのは、両親との会話や、ご近所の人に会うと「跡を継ぐのでしょう?」とか「お婿さんを迎えないと…。」みたいなことを言われたりしてきたことも影響していると思います。跡取り娘の責任感というのでしょうか…。何より、祖父の意思を継ぎたいという私自身の想いが、姓を変えることへの違和感へと繋がっているのだと思います。

パートナーは地方出身の長男です。二人の間で結婚が決まったタイミングで、姓を変えたくないという話を、思い切ってパートナーに伝えました。ですが、パートナーも姓を変えたくないという気持ちが強くて…。二人の間で答えを出せないまま、両家の挨拶や顔合わせを行いました。

パートナーの両親が、「長男なのだからこちらの姓で」と思う気持ちが理解できないわけではありません。ですが、私の意思も固くて…。

-それらのことを、お二人で乗り越えてこられたのですね。

「この人となら」という想いがお互いにあったから、パートナーの両親に反対されても、事実婚を選択し結婚しました。夫婦別姓を望むなら、今の法律では事実婚という選択肢しかありません。

今は行政も、事実婚という選択に理解を示し対応をしてくれます。子供も、何ら問題なく保育園へ入ることが出来ました。

夫婦別姓という選択に落ち着くまでは、それなりに大変な思いをしましたが、生活や子育てをしていくうえで、問題を感じたことはありません。ファミレスで順番待ちの名前を書く際に、「そういえば姓が違ったね」と気付くくらいの感覚です。

法改正がされて夫婦別姓の選択が可能となり、正式に婚姻届けを出せるような社会になればいいのに…。親世代は、事実婚は法律婚ではないという点にやはり不安を感じるのですね。
今は、大切な人たちに心配を掛けないよう、日々を幸せに暮らしていくことが大事だと思っています。子どもも生まれ幸せに暮らしていく姿を見てもらうことで、事実婚でも問題ないとの周囲の安心に繋がっていくと考えています。

日本には未だ根強い男女差が存在しています。結婚したら男性は姓をそのままで、女性は当然、姓を変えるべきだとか…。姓はアイデンティティの象徴、命みたいなものだから、私にはそんな大切な姓を捨てることは出来なかったのです。姓を変えることで失うものがあるということが理解されにくい世の中だと感じます。

女性の事業承継は少数です。私が仕事をしていると、「お手伝いしているの?」と言われることがあります。ですが、女性にだって「先代が築いてきたものを大切にしたい」という想いは、人一倍あるのです。

 

卒寿のお祝いでおじいさまと

-高橋さんの意思を貫く、その勇気や強さを素晴らしいと思います。これからの展望についてお聞かせいただけますか?

不動産業を主業にして5年が過ぎ、ようやく両親の理解を得られて事業の幅を広げることが出来つつあります。これからは、音楽療法で高齢者や障碍者に関わった経験や、自身の子育ての経験を生かして、多くの人が借りやすく住みやすい物件づくりを目指していきたいと考えています。

-最後に跡取り娘の皆さんへのメッセージをお願いします。

跡取り娘の皆さんは、「女性が跡を継ぐの?」と言われてしまうことがあるかもしれません。世間一般には、跡継ぎといえば男性というイメージが強く、女性の承継は珍しいこととされています。

でも、女性にだって家業が築き上げてきたものを大切にしたい、守りたいという想いがあります。自分の意思を曲げずに、周囲に立ち向かう勇気とパワーで前へ進んでいくことことが大切なのではないでしょうか。

私も、跡取り娘として祖父や父の思いを受け継ぎ大切にしながらも、自分らしい経営をしていきたいと思っています。

 

インタビューアー
跡取り娘ドットコムパートナー 丸山祥子

編集
跡取り娘ドットコムパートナー 小松智子


木部みゆき/小松智子