跡取り娘インタビュー
Vol.17 ダイヤ精機株式会社 代表取締役 諏訪貴子さん(後半)
お父様の急逝を機に32歳で社長に就任した諏訪貴子さん。承継後、スピード感をもって経営改革を断行し、中小企業が直面する課題を、女性承継者ならではの視点も取り入れ解決していきます。その経営に向き合う姿勢は高く評価され、「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2013」大賞(リーダー部門)、東京商工会議所「勇気ある経営大賞」、東京都中小企業ものづくり人材育成大賞知事賞「奨励賞」など数々の賞を受賞しています。諏訪さんへのインタビュー後半は、事業承継後の社内改革、人材マネジメントを中心に、コロナ禍での対応についてもお話を伺いました。
―事業承継された当時の経営状況はいかがでしたか?
諏訪さん(以下、敬称略):当時のダイヤ精機は、バブル崩壊の煽りを受けて、売上高はピークの半分以下まで落ち込んでおり、父の社葬を終えてホッとしたのもつかの間、取引銀行から身売り話が持ち掛けられました。「冗談じゃありません」と一蹴し、「半年で結果を出します」と銀行に啖呵を切ったものの、ダイヤ精機の置かれた厳しい現実と、経営者としての私に対する、社会的信用の低さを思い知りました。
「ダイヤ精機に時間はない、スピード感を持って改革をしていかなければ!」と、社長に就任して1週間ほどで、長年の不採算部門の整理を行いました。言い渡すまで夜も眠れないほど辛い決断でしたが、社員27人のうち5人のリストラを行ったことで、残りの社員の反発を買いました。そんななか、「3年の改革」をスタートしたのですが、一年目の2004年は「意識改革の年」、二年目は「チャレンジ」、三年目は、「維持・継続・発展」と題して進めていきました。
―社内改革は、どのようなことから始めていったのでしょうか。
諏訪:まず始めたのが、通称「悪口会議」です。人って、敵対する共通の存在がいることで一致団結しますよね?人の悪口は一体感を生みます。敢えて、その敵対する存在に私自身がなることで“私VS社員”の構図を作り、社員みんなの意識のなかに「危機的状況下の一体感」を作り出そうと考えました。「あなたたちの底力を見せてほしい」「私と会社の悪口をどんどん言ってください」と伝え、私と会社に対して業務改善を提案する場として始めた「悪口会議」でしたが、ルールはひとつ、「社員同士の悪口を言ってはいけない」ということでした。
いざ始めてみたものの、幹部とは激しい言葉でぶつかり合うことも…。親に怒鳴られたこともないのにと、32歳の経験のない私にとって、精神面で辛かったです。帰宅後に、心配を掛けたくないし、不安な気持ちにさせてはならないと、母や息子に隠れて布団の中で声を殺して泣きました。
―その状況から、どのように抜け出したのでしょうか?
諏訪:その時、本を読まなければならないと思ったのですが、ある方に、哲学書を薦められたことがきっかけとなりました。論文を読み慣れていて小説は苦手(笑)、そんな理系脳の私に、物事の捉え方や人間関係について論理的に書いてある哲学書がハマりました。哲学書って「考え方の説明書」なんです。読むと自分のなかに1+1=2のように結論が出る感じで、「何百年も前に生きた人達も同じようなことで悩んだ末に、このような答えを導き出したのだ」と多くの気付きがありました。その時に出会ったのがシェイクスピアです。「世には幸も不幸もない。考え方次第だ」というシェイクスピアの言葉に、目の前が明るくなりました。
承継当初の私は、自分のことを凄く不幸だと思っていました。ママ同士でランチに行っていた生活から、父の急逝による突然の社長就任で、スーツを着せられ会議では幹部にボコボコに言われ、どこへ行っても紅一点で、「どうせ、町工場の社長は務まらないだろう」という目で見られ…。でも、シェイクスピアの言葉で、考え方次第だと思えたのです。今私が置かれている状況も、逆に考えれば、町工場を継いだことで他の人には出来ない沢山の経験をさせていただいていて、社員が文句=悪口を言いながらも会社を辞めずに私にぶつかってくるのは本気で会社のことを思ってくれているからなのだと、理解し始めました。そこからは肝が据わり、バリバリと改革を進めていけるようになりました。
先代の時から、当社には「仕事でどんなにぶつかり合ったとしても、あなたのことを嫌いなわけではないんですよ」という、例えていうなら「3秒ルール」の企業文化がありました。幹部会議での激しい言い合いの後も、社長室を一歩出たらそれを引きずらず元の関係に戻るということです。思い返せば、社員たちは最初からそうであって、それまで主婦で、本気でぶつかり合う“喧嘩”をしたことがない私ひとりが、カルチャーショックを受けていただけのことだったのです。たとえ社長室でいくら揉めようとも、社外では私のことを“社長”として扱ってくれた彼らに感謝しています。父が、こうしたルールと企業文化、人という財産を遺してくれたことが、とても有難たかったです。
―事業承継後、社員マネジメントに苦労する承継者が少なくないようです。諏訪さんの場合はいかがでしたか?
諏訪:改革を始めた当初は社員の反発もありましたが、「悪口会議」をスタートしたことで若手社員主体の改革案が次々と出されるようになり、3年をかけた社内改革のエンジンとなりました。父は社員から見ると怖い存在で、トップダウンで物事を進めていきましたが、対する私は、優しく話しやすい存在になろうと意識しました。女性経営者の特徴のひとつに、コミュニケーション能力の高さがあげられます。町工場らしいコミュニケーションの良さでお互いに知恵を出し合って新しいものを作っていくためには、笑い声の響く「明るく楽しく働ける職場創り」が大切だと思っています。
社員マネジメントでは、社内結婚で退社するまで2年間勤めた大手自動車部品メーカーでの経験と、その間に上司から教わったことを大事に生かしています。とは言え、大企業での経験をそのままではなく、中小企業仕様にアレンジしています。社員マネジメントのうえで実感するのは、中小企業と大企業とでは、教育ひとつを取っても違うということです。
社員によっては、例えば、椅子に座ること、座り方から教えることもあります。“日本語”が通じない(笑)、決めたルールを守れないということもあります。今の若い世代には、体当たりで物事に向き合う雰囲気はなく、「見て覚えろ」「叱られて成長する」よりも「丁寧に教えること」が必要です。そのことは、古参の社員に幾度となく伝えて、彼たちもそれを分かったうえで、今後を担う若手社員たちのことを大事に育ててくれています。
職人さんの代替わりで、3人を除く残りは私が採用した社員へと入れ替わり、今は20代と30代の若手が6割を占めています。正直なところ、社員の若返りで生産性は落ちていますが、仕方のないことなので、そのことを社員に向かって口にしたことはありませんでした。ですが先日、20代半ばの若手リーダーとの会話のなかで、「この先の10年間をこのメンバーで頑張れば、昔の生産レベルに戻ります。あと10年下さい」と言われた時、とても嬉しく思いました。そして、今の若い子たちにも、また違ったかたちで熱い思いがあるのだなと、頼もしく感じました。
―親族以外の右腕、経営人材の育成はどのようにされていますか?
諏訪:ある時、社員全員に訊ねてみました。「明日から、アメリカ勤務ができますか?」と(笑)。みんなは「僕には、無理です」と答えたのですが、ひとりだけ、「妻と相談して、明日回答します」と答えた社員がいました。そして、翌日彼に伝えました。「今、空いている部屋で塾を始めましょう」と。
8月に入って早々に海外赴任の質問をして、塾の開校は9月末、フランチャイズ契約とはいえ、通常半年ぐらい時間を掛けるところ約2か月での新規事業の立ち上げでした。オーナーは私でしたが、彼には塾長として、塾の経営全てを任せました。コピー機や机の調達など業者さんとのやり取り、生徒集め、先生集め、生徒指導のことなど、私は相談には乗りますが、彼に全ての経営判断をさせて、帳簿も見せました。そうすることで、経営のイロハを全て体験できると考えたからです。
「とにかく社長が2か月でやりなさいと言っている」状況に、彼と業者などの関係者達に危機感からくる一体感が生まれてチームが出来ました。彼にとって、周囲を巻き込み新規事業をスタートさせたことは成功体験でしたが、目標に課した“3年での黒字転換”も見事達成できことで、経営上の成功体験になりました。その経験を経て、今、彼は工場長として再び現場に戻っています。
経営者は、現場を分かっていて図面が読めて、ヒト・モノ・カネが動かせる人材で…。当社の場合だと、旋盤を操作出来て、ヒト・モノ・カネが動かせる人材ということになります。でも、私の経験から一番大切なのは、「突然の出来事に希望を持てるか」「突然のことに未来を描けるか」なのです。先が見えないなか、未来に向けて不安ではなく期待を持てる人材、未来を描ける人材でないと経営には向きません。そうでなければ、重圧に潰されてしまうからです。「明日回答します」と即答できた彼のモチベーションの高さを見込みました。
塾の一件は、社員に理由を話さず進めたので、始めは「どうして塾をやるのか?」と反感を買いました。彼は工場で旋盤を担当していたのですが、そのポジションに穴を開けてまで「どうして?」と(笑)。ですが、たとえ最初は冷ややかな反応でも、実績を作れば、次のチャレンジの際には「また何か面白いことをやりだしたな」と期待感を持つようになって、周囲の反応も変わってくるのではないのでしょうか。
周りは結果を出して初めて、“なるほど”と納得するということです。塾のことも、次世代の経営者育成のための修行と分かり、黒字化を達成したことで、納得が得られました。ですから、何か新しいことを始める際、だいたいのビジョンは伝えますが、細かいことは社員に話しません。彼らは結果に責任を負わないからです。最終的に全責任を負うのは私です。
社長になって思うことは、その立場に立たないと見えないことがあるということです。ですから、右腕を育てていくうえで、「起きた問題への“対処”は教えられるけれど、“先行投資”を教えるのは難しい」と感じます。経験値から生まれる勘所というものがあるのでしょう。
息子には、ダイヤ精機を継ぐも継がないも自分で決めていいと話していますが、もしも息子がダイヤ精機を承継するとしたら、今、私の右腕として育てている彼が、私と息子の間で経営のバトンを繋いでくれるのではないかと考えています。
―コロナ禍による経済危機をどう乗り越えたらいいのか、経営者は模索しています。諏訪さんはどのような対応をされていますか?
諏訪:私は、リーマン・ショック後の不況を経験しています。あの時に比べると、売上げは感染拡大前の2~3割減といったところで、状況はそこまでひどくありません。ただ、リーマン・ショックの際には”100年に一度の不況“と言われていたのに次はコロナか…と、このような苦労が10年に一度は来るという覚悟で、今後は経営に当たったほうがいいぐらいではないでしょうか。
リーマン・ショックの時は売上げが9割減、さすがの私も落ち込みました。毎月、預金がどんどん減っていくので、眠れなくなって…。でも、3か月ぐらいすると人間慣れてきます(笑)。当社だけがこの状況では大変だけど、「周りの会社も同じように大変なのだ。こんなにまじめに経営と向き合い、社員みんなでこれだけ頑張っているのにうちの会社がダメになるとしたら、世の中の会社はみんな倒産するだろう」と、気持ちを切り替えました。
そこで、逆に人を採用したり、機械を購入したりしました。機械も、みんなが買わないので安く購入できましたし、その時に採用した社員たちは今、中堅社員として会社を支えてくれています。採用や購入を決めたときは、先を読むというより安いからチャンスと思って勝負に出たのですが、今から思うと決断して良かったと思います。やはり、苦境時の経営者の決断は、その後に大きく影響します。
リーマン・ショックによる承継後初の赤字決算からV字回復して、ここ数年は経営体質の強化に取り組んでいたので、2019年度は増収増益で利益は前年比8倍と結果が表れた矢先のコロナ不況です。今回は、リーマン・ショックを乗り切った経験もあり、精神的に落ち着いています。
コロナ禍における現場の対応については、製造業は在宅勤務・テレワークは難しいところがあります。なので、手洗い、うがいの徹底など、職場のコロナ対策を徹底することで対応し、感染者は出ていません。また、一般販売もしている生産性向上のため自社開発した、中小企業向けコミュニケーシツール「Lista(リスタ)」を活用して、部署間の移動、3つある工場の行き来も極力避けられるようになり、各部署の情報をLista内にまとめることで営業担当部署もテレワーク対応が可能となりました。
―リーマン・ショック時の決断は、どなたかに相談してのことだったのでしょうか。
諏訪:私は、コンサルタントに頼ったり、相談したりすることはありません。経営課題は自分で見つけて原因をとことん追求し、自社内で改善に向けて尽力する経営をしてきました。他の経営者の本を読んだり、テレビを観たりはしません。それらを、読んだり、観たりしたばかりに私の言葉でなくなってしまうのが嫌なのです。大企業と中小企業とは論理が違うと思いますし、机上の空論には違和感を覚えます。いつにおいても「自分の経営をし続けよう」と強く思っています。
提案は受け入れるけど、誰かに相談はしないで決断は自分ですると決めています。そうでないと、自分の弱さから良くない結果を人のせいにしてしまうと思うからです。また、遠い将来のことを決めると逆にチャンスを逃すのではないかという気持ちがあり、むしろ、日頃様々な勉強をしているなかで落ちてきたチャンスを掴むというのが私流です。
―諏訪社長のこれからの夢についてお話しいただけますか?
諏訪:一女性としては、事業から引退したら、キャンピングカーに乗って全国各地の町工場や企業を訪ねて回る“町工場 YouTuber”ならぬ、“町工場 ユーチューバーサン(婆さん)”(笑)になるのが夢です。会社としては、社員がダイヤ精機の本社がある大田区に一戸建てを建てられるような会社にしたいと思っています。
―跡取り娘の皆さんへのメッセージをお願いします。
諏訪:事業承継において、継がせる側は業績が良い時に継がせたいと親心から考えがちですが、実は、業績が良い時の承継は、経営に慣れない跡継ぎは業績を落とせないとしんどい思いをします。業績が悪い場合は持ち直すしかないので、跡継ぎはプレッシャーを感じ過ぎずに経営に向き合えると言えるのではないでしょうか。ですから、業績が悪いことを理由に頭から承継を躊躇うのは少し違うと思っています。
跡取り娘の皆さんも、自身の女性承継者としての苦労や経験について、人前でお話しする機会があるかもしれません。私も、町工場の女性承継者としての経験や自身の経営について、講演でお話しすることが少なからずあります。講演は、私のなかでも大切にしている取組みのひとつです。講演に限ったことではありませんが、場面場面で、私にとっても必要な方に出会うことが出来ますし、これまで、多くの方々と知り合えたことで今の私があると感謝しているからです。
振り返れば、初めての講演では緊張から思うように話せませんでした。内容についても聴講後のアンケートで酷評(笑)されたことに奮起、様々な興味と関心で講演にお越しいただいたみなさんに、満足してお帰りいただくには何をどう伝えればいいのか?と、試行錯誤した時期がありました。そんな経験を踏まえて、女性経営者の皆さんに向けて、「話し方講座」を企画してみたいという気持ちをかねてから持っています。近い将来、跡取り娘の皆さんに向けて、そんな講座を持てたら嬉しいです。
最近カウンセラーの資格を取りました。跡取り娘の皆さんたちと経営に関するお話しする際にも役立てられるといいなと思っています。
インタビューアー
跡取り娘ドットコム 代表 内山統子
ファイン株式会社 代表取締役 清水直子
執筆
跡取り娘ドットコムパートナー 小松智子
参考文献:『町工場の娘 主婦から社長になった2代目の10年戦争』(2014)日経BP
参考資料:ダイヤ精機株式会社HP http://www.daiyaseiki.co.jp/
Lista HP https://www.lista.cloud/