跡取り娘.com

インタビューinterview

2021.02.25

社長だからって、頑張りすぎなくて良い!
社長らしくより、一つひとつを“私らしく”

跡取り娘インタビュー
Vol.20 有限会社丸オ奥田商店 代表取締役 奥田祐子さん


「ハトのマークの引越専門」は、昭和49年に東京でスタートした引越専門中小運送業者の協同組合で、日本全国で18組合、加盟企業社数は136社に上ります(2019年1月現在)。
有限会社丸オ奥田商店/江東センター(以下、奥田商店)は、「ハトのマークの引越専門」の創設メンバー10社のうちの1社という歴史があり、奥田祐子さんは7年前に3代目社長を承継しました。
奥田さんに、事業承継の経緯、承継の苦労や目下の取組み等について、伺いました。

―家業に入るまでのことを、お聞かせいただけますか?

奥田さん:茨城にある新設の四年生女子大学を2002年に卒業しましたが、折しもバブル崩壊後の就職氷河期、地方の新設校に東京での求人はほとんどなく、卒業後の1年間、簿記の専門学校に通いました。その後就職したふたつの会社では、簿記の資格を生かして経理業務を担当しました。

中学からの内部進学で系列の女子大学で学び、卒業後は、専門学校で料理を習い見合い結婚でもするのだろうと漠然と思っていたのが、就職活動をすることになり驚いたのを記憶しています。

―家業に入られたきっかけはどのようなことだったのでしょうか?

私が奥田商店に入社したのは、2011年末、30歳の時。2歳下の弟より先に、私が家業に入りました。母も歳を取り経理の仕事が難しくなってきたので「手伝ってほしい」との理由からでした。

当社は祖父が創業、2代目を父が継ぎ、3代目は弟がいずれは継ぐものと、周囲も私も何となく思っていました。ですが、弟は大学を卒業後、金融業界へ就職し、今もその会社に勤めています。弟が大学卒業後すぐ家業に入らなかったのは、母の意向が大きかったです。父には他社での勤務経験が無かったため、「雇われる方の気持ちも分かった方が良い」と、母が他社への就職を勧めたからでした。

ところが、2014年、癌が分かってから半年で、承継について何も語らないまま父は亡くなりました。弟は、家業に関わっていませんでしたし、勤め先を急に辞めて社長を継ぐわけにもいかず、母も断り、結局、私が34歳で社長に就任しました。

私にしてみれば、「社長にならない」という選択肢はなく、外堀から埋められどこか犠牲者になった気分でしたが、覚悟を決めました。私が社長を引き受けたのは、祖父が大好きで、「祖父が作った会社を存続したい」という気持ちが強かったからです。

承継前の私の役職は総務部長。運送や経営についての引き継ぎは何もなく、右も左も分からない状態でした。

「奥田商店さんにお願いして良かった」と、早くて丁寧な対応が評判です。

―社長に就任して、自分自身や社員、取引先等の方々に変化がありましたか?

父が亡くなって、「社員全員が辞めるだろう」と思いました。自分より年下の女性社長の下で働くことは男性にとって嫌だろうと思ったのです。ところが、誰も辞めませんでした。取引先との仕事も無くなりませんでした。

父は、「ハトのマークの引越専門」の理事長をしていたこともあり、組合の若手を抜擢し改革を断行したり、組合内企業に承継による若返りを勧めたり等、「責任は自分(父)が取るので好きなように仕事をしなさい」と育てた方々が、今、活躍されていて、どこへ行っても「お父さんには大変お世話になりました」と、とても親切にして下さいました。34歳の若さで、しかも女性の承継ということで気の毒に思ってのことかもしれません。

父が改革を推し進めることを、快く思わなかった方も少なからずいたと聞いていたので、承継当初の私は、それが誰なのか、父を想う気持ちから探していました。
ある時、思い切って父と親しかった方に聞いてみたら、「もういいんだよ」「祐子ちゃんの代になったのだから気にすることはないんだよ」と言われ、その頃から、周囲の方へ心を開けるようになりました。

振り返れば、私が社長になったからと言って、何も変わりませんでした。私の心の問題でした。30代前半で社長になったこと、運送業での跡取り娘の承継で…と、他人と異なる状況を私はプラスに生かせているのだろうか? と、独りこだわり悩んでいたのです。
「社長が女性だからダメなんだ」と、現場で頑張っている社員の足を私が引っ張ってしまうのであれば、すごく申し訳ないなとプレッシャーもありました。

―周りのことを落ち着いて見られるようになったのですね。その後、社員の皆さんとのコミュニケーションは変わりましたか?

承継してから3年は何をどうしたら良いのか分からず必死で、所属する団体の会議に出席したり、勉強会に参加したりする等、自分のことで精一杯でした。ですが、「どこへ行っているのか分からない」「いつも会社にいない」と社員に思われていたことに気付き、予定表に詳しく行き先を書き入れることにしました。

「会話が増えると良いな」と、誕生日のメッセージ、バレンタインデーのチョコ、髪型や服装が変わった時のちょっとした声掛けや、トラックを一緒に掃除したりなど、社員との関りを増やしていきました。
そんなある日、お酒の席で酔ってしまい、私は社員に「大好きだよ」としがみ付いていたらしいのですが(笑)、そのことで、却ってみんなの態度が優しくなりました。私が社員の面倒を見ていると思っていたのですが、本当は私が面倒見てもらっていたのかも?お互い様という気持ちになりました。お酒の力を少々借りはしましたが、弱い自分を見せてもいいと知りました。

その出来事から、「世間の常識に無理に合わせなくても、奥田商店らしくやっていけたら良い」と思うようになりました。そして、「何があっても社員のことを守って行こう」とも。「気にしていない」と思いながらも「社長らしく」との想いに捉われ、肩に力が入っていたのでしょう、「私らしく」なかったのかも知れません。

職場に掛けられた書。今は、言葉が心に響きます。

―社長に就任後、どのような困難がありましたか?そして、どのように乗り越えていらしたのでしょうか。

私が社長を継いで程なく受けた、陸運局の監査が転機となり、社労士のアドバイスで中小・零細の運送業者ながら、全員が社会保険に加入しました。
社会保険に加入したことでGマーク、引っ越し安心マーク、東京都評価制度(運送のミシュラン)1つ星を取得できました。

それがきっかけで、福利厚生の見直しをしました。有給休暇制度は、夏休みを取れるようにするところから始めました。健康診断とドライバーの適性診断、更新する資格もきちんと管理、ハトのマークやトラック協会で引越管理者講習等、積極的に参加させて資格を取らせています。

仕事の面では、「私が興味を持ってやれること」として、販促強化を考え付きました。そこで、女性承継者のご紹介でマーケティング塾に通い、ブログや、自作チラシの新聞への折り込みと近隣へのポスティング、「猫が飼いたいな。そうだ!引っ越ししよう」等のくすっと笑えるカフェ風看板の設置等に取り組みました。
「ハトのU子さん」というキャラクターも作り、販促に活かしています。LINEスタンプも作りました。

また、数年を掛けてお客様情報の整理をし、現在は、名簿管理のため、暑中見舞いとクリスマスの時期に既存のお客様へコンタクトを取り、地域との繋がりに改めて目を向けています。女性向けサービスの拡充も図っています。

学びの面では、昨年から、「人材を生かした経営手法」を学んでいますが、社員アンケートの結果には驚きました。私は現場に口を出しておらず、社員は自主的に働いていると思っていたのですが、「自主的に動ける人が少ない」という結果が出たうえ、その原因は「私が怒るから」!
そこで、私が怒るたびに貯金箱へ500円を入れる「ぷりぷり貯金」を始めました(笑)。社員の自主性を育てるため、怒りたい時もぐっとこらえて見守るようにしています。

社内風景

―将来に向けて、奥田さんが取り組んでいきたいことについてお話しいただけますか?

これから力を入れていきたいのはインスタグラムやツイッターといったSNSです。鳶職の素晴らしさを伝える書籍・Webページ※1を参考に、引っ越し屋で働く人たちの格好良さと、引っ越し屋の良い面を発信していきたいです。

奥田商店は数年ごとに社員が「辞める」「辞めない」の騒動があるのですが、「夢を見させてほしい」という言葉が社員の口から出たことがありました。他業種の経営者の方にこの話をしたら、「彼らの言っていることは正しいよ。会社は夢を見させてあげるところだよ」と言われて腑に落ちました。
そこで、何があってもとりあえずは大丈夫なように社員には資格を取らせてあげたいと思うようになりました。本人達が積極的に取得するところまでには至ってませんが、根気強く薦めていきます。

現場へも同行したいです。先日は社員に断られてしまいましたが(笑)、普段、面と向かって思いを聞くことは難しそうなので、私から社員の日常に入り込むところから距離を縮めていきたいと思います。

ホームページは改良に改良を重ね、奥田商店らしさを伝えています。

―最後に、跡取り娘の皆さんへのメッセージをいただけますか?

私は社員のお母さんのような役割もしています。会社に来ないと電話したり、寮まで迎えに行ったり…。他社ではあまりないことかと思いますが、私はそれも良いかなと思っています。
服装も、社外での会議に出るときはスーツを着ますが、普段は自分の好きな格好をしています。世間一般にイメージされるような社長らしくなくても良い。ひとそれぞれですから…。

私の場合、社長業はマイナスからのスタートでしたが、1つずつ出来ることから取り組んで、今ではプラスに持ってこられたと思います。これからも、自分の目の届く範囲で、やれることをやっていけたら良いと思っています。

「社長だからって、頑張りすぎなくて良いよ」と跡取り娘のみなさんへ伝えたいですね。

※1 『鳶 上空数百メートルを駆ける職人のひみつ』(2014)多湖弘明 洋泉社
    とび職Net http://www.tobisyoku.net/profile0.htm

インタビューアー 
跡取り娘ドットコムパートナー 丸山祥子

執筆・編集
跡取り娘ドットコムパートナー 小松智子

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